まなかメルマガ
こんにちは、まなか(@manaka_cspt)と申します。
このページを見てくださってるということは、
「まなかってどんなやつなんだ?」
とちょっとでも興味を持ってくださった、ということですよね?
ありがとうございます!!!
このページでは、
私がどういう人間で、
どんな考えをもって、
どんな活動をしているのか
についてお話ししていこうと思います。
私は
『人生は自分の力で変えられる』
という信念のもと、
- 自分に自信がなくて生きづらさを感じている
- 「職場での役割」「家庭での役割」だけを求められていて、自分自身が求められていないと感じる
- 社会的立場が低くて劣等感を抱えている
- 自分の力が発揮できる場所がほしい
- 誰かに必要とされたい、自分の存在価値がわからない
こんな想いを抱えている人が、
自分らしさを殺さず、
お互いを尊重しながら生きられる世界をつくる
という理念で活動をしています。
具体的にどんなことをしてるかというと、
自分の商品(コンテンツ)を作って販売したり、
コンテンツを作って販売する方法を教えたりしてます。
本当に目指す生き方をするためには
お金は切っても切り離せない問題ですから・・・
具体的な活動実績としては、
2021年の10月にBrainというプラットフォームで
自分のコンテンツを販売しました。
2時間で初版が完売し、
「ブログ・メディア運営ジャンル」で2位になりました。
2021年の12月に販売した2つ目のコンテンツでは、
販売開始15分で成約率26%を達成しました。
いただいた感想たち。
先日、コンサル生さんからは
「単月で売上50万達成した」
とうれしいご報告をいただきました。
参考:【コンサル生さんが単月売上50万達成】私がコンサルで心がけていること
無料相談も行っているのですが、
「何をすればいいのかわからない・・・」
と悩んでいらっしゃったビジネス初心者さんが、
ほんの少しアドバイスさせていただいただけで
あっという間にご自分の商品つくられて
サクッとコンテンツ販売で0→1達成された、ということもありました。
これは本当に感動しました。
こういう貴重な瞬間に立ち会えることが
本当にうれしいんですよね・・・
私は、なんとか動き出すきっかけを作りたいのです。
なぜかというと、
私自身がこうして発信できるようになるまでに
4年かかったから。
はい。
4年間、ノウハウコレクターの身でした。
どれだけ教材を買っても思うように行動できず、
やるべき事はわかっているのに
なぜかできない・・・
目の前の課題は自覚してるいるのに、
どうすればそれが解決できるのかわからない・・・
こういう状態で何年もモヤモヤしていました。
私はどちらかと言えば
『できない側』
の人間です。
もともと劣等感が強いほうで、少なくとも
努力して何かを成し遂げよう!
というタイプの人間ではありませんでした。
そんな私が、なぜ諦めずに続けてこられたか。
それは
『人は努力で変われる』と知っていたからです。
ここからは、私の過去を少し詳しくお話ししていきますね。
これを読んでいただければ、
私がかーなーりダメダメな状態からスタートしたこと。
そんな人間でもきっかけさえあれば
変われるということ。
そして、それはあなたにもできることなんだ、と
希望を持ってもらえるんじゃないかな、と思います。
私は周りより劣ってるかもしれない
『私は人より劣ってるんじゃないだろうか』
はじめてそう思ったのは、小学校3年の時でした。
夏休みの宿題で、数学ドリルの課題が出されたんですよね。
ドリルすべてをやってくる、ではなく
指定された特定のページだけやってくる、というものでした。
夏休みの最終日。
先生が
「これから宿題のページ言うからメモれよ」
といって、ページを読み上げていったんです。
最初は周りのみんなと同じように
読み上げられたページをチェックしていました。
でも、たぶん、途中でボーッとしてたんだと思います。
私はかなり内向型の人間で、
1人で頭の中で考えていることが好きなタイプだったから
何か考え事をしてしまっていたのでしょう。
ハッと気がついたとき、先生はまだ
「次は○ページ」
と読み上げていました。
周りのクラスメイトが黙々と言われたページをチェックし続ける中、
私はチェックするべきページが飛んでしまい
パニックになりました。
自分だけが取り残されていました。
先生が宿題のページを読み終わったとき、
私はどのページが宿題なのか
わからなくなっていました。
後から思い返せば、
先生かクラスメイトに宿題のページを確認すればよかったのですが、
誰かに聞くこともできませんでした。
結局、宿題のページを誰にも聞けず、
そのまま夏休みを迎えてしまったんです。
夏休みの間、ずっと不安に駆られていました。
先生から『宿題をやってこないダメな子』だと思われたらどうしよう。
クラスメイトから白い目で見られるかもしれない。
周囲から浮く存在になることが怖かったんです。
開き直って『全ページやってしまえば良い』という発想すらできず、
宿題をやらなかったことが発覚することを想像しては暗い気持ちになり
最悪な夏休みを過ごしました。
唯一の救いは、
その年、夏休み中に引っ越すことになっていたこと。
だから『このまま宿題やらなくてもバレないのでは・・・』という
考えもあったんですよね。
実際、転校先の先生からは
「前の学校では夏休みの宿題少なかったんだね」
と言われただけで、特に問題にはなりませんでした。
ただ、このときの経験がトラウマとなり、
私は他の人よりも頭が悪いのかもしれない
と思うようになりました。
一生懸命努力しても
普通の人のようにできないことが
たくさんあるのかもしれない。
そう思ったら、怖くて
何かに対して本気で取り組むことができなくなりました。
努力ができない人間になる
学生のころは、本気で勉強に取り組んだことがありませんでした。
勉強の必要性がわからなかったし、
そもそも勉強の仕方がわからなかった、というのもあります。
でもなにより、
もし、真剣に取り組んでもダメだったら
『自分は人より劣っている』
という事実を受け入れないといけない。
この状況に向き合うことができなかった。
両親も「勉強しろ」とはほとんど言いませんでした。
おそらく両親も、劣等感のようなものを感じながら生きている人たちなのではないかと思います。
両親は集団就職で上京した人たちで、
あまり学業に時間を割いてきませんでした。
だから私に対しても、
「勉強ができなくても元気でいてくれれば」
と言ってたんですよね。
その状況を、これ幸いとばかりに
勉強をせず、就活も放棄して、
学生生活を終えたあともモラトリアム期間を満喫していました。
私は基本的にポジティブな性格です。
劣等感は強かったですが、
それで自分が嫌いという感情はありませんでしたし、
自己肯定感は高めだったと思います。
「私ってダメな人間だよなぁ・・・」
そう思いながらも、
そんな風に生きている自分が結構好きでした。
でも、現実と向き合わなくてはいけない状況は
イヤでも近づいてくるんですよね。
23歳で定職につかず、実家で過ごす日々。
いくら「勉強ができなくても元気でいてくれれば」と思っていた両親でも
まともに働かずプラプラしている娘は心配だったと思います。
さすがに両親からも
「このまま就職しないでどうするの?」
とジワジワと圧力がかかってきました。
自分でも何とかしないといけないと思い、
ハローワークに行ってみたり、
新聞の折り込みに入ってくる求人広告や、
タウンワークに掲載されている仕事に応募するようになりました。
とは言え・・・
それまでプラプラしてた人間が、
仕事を探してすぐ就職できるほど
世の中は甘くなく。
就職氷河期ということもあり、
求人倍率も異常に低い時期でした。
既卒2年以上で、
就活の基本的な知識やノウハウもまったくなし。
そんな人間が応募しても
当然、ことごとく不採用です。
事務職の求人では、面接に行っても
「未経験じゃねぇ・・・」
と軽くあしらわれてるような状況でした。
応募したい仕事があればすぐ面接に行けるように、
シフトを事前に決める必要のあるバイトではなく、
日払いバイトの生活を送るようになりました。
日払いバイトはだいたい、工場のライン作業。
よく派遣されたのはヘアケアメーカーの工場で、
ベルトコンベアで流れてくる商品箱に、
決められた商品を入れていくという仕事です。
働くメンバーは指定された集合場所に集まり、
そこから車で工場まで送ってもらうのですが、
車で見知らぬ土地に運ばれていく自分は、
ドナドナの仔牛
のようだと思いました。
別の派遣先の工場は、真冬になると異様に寒い工場でした。
コンクリートの床から冷たさが伝わってくるので、
足の裏にカイロを貼りながら作業をしました。
ときおり、事務所でデータ入力を依頼されるときがあり
事務所にはストーブがあったので、
その仕事を任されたときだけ
暖かい部屋の中で仕事をすることができました。
ライン作業をするのは、
ほとんど私のように日払いのバイトで来ている人たちです。
そしてバイトの不慣れな部分を補うように
一部だけ、ベテランの社員さんが入るような形で
構成されていました。
やっている作業はまったく同じ。
だから一緒に仕事をするたび、
モヤモヤした感情がこみ上げてきました。
同じ仕事をしているのに、
どうして私はバイトで、あの人は社員なんだろう?
採用された彼女たちと、採用されなかった私。
その違いって何なんだろう。
たった2年の違いで、なんでこんなに違うんだろう。
当時は何もわかりませんでした。
一度レールから外れると
再びレールに乗ることがこんなに大変なのだと
気がついてもいませんでした。
それでもこの頃はまだ、甘すぎる考えを持っていました。
「結婚して専業主婦になったら安泰」
って考えていたからです。
普通になりたかったけど、普通って息苦しい
派遣会社に登録して働くようになりました。
学生時代の友人たちが母親になったり、
会社員としてまっとうに生きている姿を目にしてると
『やはり働くしかないのか・・』
と思うようになるんですよね。
その上、面接で落とされまくっていると
採用されない=自分の存在価値がない
採用される=自分を認めてもらえる
みたいな感覚になります。
これは就活や転職でも同じだとは思いますが、
雇用関係って結局、
選ぶのではなく、選ばれるしかないんですよね。
無事に仕事が決まり、
毎日会社に行って働くようになって
「やっと普通の社会人らしくなれたな」
と感じたのを覚えています。
これで専業主婦になれば人生プランどおりでした。
(めちゃくちゃ甘々な)
が。
現実はそんなに甘くなく、むしろ
私が働かないと生活が成り立たない
くらいの状態でした。
その頃になると、ふわふわ生きていた私もさすがに
一般的な考え方をするようになっていました。
「派遣35歳定年説」っていうのがあったんですよね。
35歳を過ぎたら派遣の仕事ないですよ、っていう。
今はそうとも言えない気がしますが、
当時はこの考え方が有力でした。
生活していくために仕事を失うわけに行かなかった私は、
正社員の仕事を探すようになりました。
でも、どれだけ正社員の仕事に応募しても
まったく採用されません。
雇う側から見れば、
それまで正社員で働いたことがない人間を雇うなんて
かなりのリスクですよね。
私は自分でそういう人生を選んできたので、
自業自得ではありました。
それでも、
こんなに応募しても採用されない社会っておかしくないか?
と思いました。
「募集してるくせになんで採用してくれないんだろう?」
「どうせ落とすなら、面接する前に落としてくれればいいのに(交通費かかる)」
「私って求められる人材じゃないんだな・・・」
私は社会に必要ないのか。
そう感じました。
自信をなくしかけていたころ、
やっと、正社員に採用されました。
正社員の事務職で、
希望した職種につくことができました。
ただ、出版系の業界で、
ブラックでした。
よくよく考えたら、クリエイティブ系の仕事って
ブラックな環境であることが多いですよね。
でもその頃、ブラックな環境がどういうものかも
わかっていなかったし、
もしかしたら業界的には今でも普通かもしれません。
でも異業種から入った私から見たら、
ブラックでした。
もし、私が学生時代にきちんと就活をして、
業界研究とか給与体系の仕組みなどを理解していれば
事前にわかったことかもしれません。
- 年俸制
- 裁量労働制
年俸制は、年収を12ヶ月で割った数字が毎月の給料になる形です。
そして裁量労働制は、働く時間や配分などの労働時間について、
自分自身で決めることができる制度。
この2つが組み合わさると、
どれだけ残業しても残業代が出ない
ということになります。
本来、事務職は裁量労働制にあたらない仕事ですが、
その時はそれすらわかっていませんでした。
小さな会社の1人事務職(しかも未経験)で、
ほぼ毎日、終電での帰宅。
そしてどれだけ働いても、
残業代は一円も出ません。
給料を時給に換算してみるとアルバイト並みの金額で、
計算するたびにものすごく落ち込みました。
(それでも計算せずにはいられなかった)
派遣のときは残業すれば残業代が出たけど、
今は派遣の頃より働く時間が長くなって、
給料は下がるという事態。
正社員ってこういうもの???
「いやいや・・・早く帰れないのは、
業務量が多いんじゃなくて、
私が慣れていないだけかもしれない」
「自分が早く仕事を終わらせれば、きっと早く帰れるはず」
そう思い、毎日必死に
目の前の仕事をこなしていきました。
しかしどれだけ自分の仕事を終わらせても、
他部署の仕事を手伝わされるんですよ。
これ・・・どう考えても、
早く帰れないやつじゃないか???
仕事は一向に減らず、
周りに助けを求められる人もいなく、
休日にも電話がかかってくる始末。
毎日終電まで働いて、
給料もアルバイト並で
怒られてばかりの日々。
そして楽しそうに会社に泊まる同僚たち。
会社に泊まる???
意味がわからん!!!
心が折れたのは、ささやかなきっかけでした。
ある日、いつものように終電で座席に座っていると、
職場の飲み会帰りの酔っ払いのおじさんたちが数人、
電車に乗り込んできました。
ふと、思いました。
この人たちは、仕事帰りに飲んで、
その飲み会すらも終わって帰るところなんだ。
身を削って働いていて
普通の人ならもう布団の中で眠りにつくような時間に、
人がまばらな終電で帰宅して。
そんな私の帰りを待ってる
家族の体にもきっと影響を与えている。
そう思うと、悲しくて悲しくてたまりませんでした。
何のために働いてるんだろう?
このまま働き続けても、
きっと仕事の状況は改善されない。
自分の努力でなんとかしようと思ってきたけど
きっとこれはそういう問題じゃない。
もう無理。
辞めよう。
そう決めて、6ヶ月で正社員の立場を捨てることにしました。
辞めたあとのことを考える余裕はありませんでした。
ただただ、この環境から抜け出したい一心で。
正社員で働くことがこんなにしんどいなら、もういい。
普通の人生を目指して頑張ってみたけど、
もう普通の人生は諦めよう。
そう思った瞬間でした。
それからしばらくは、無職の日々。
収入はほとんどなかったから
それまでコツコツ貯めていた貯金を切り崩しての生活してました。
いよいよ貯金がなくなってきて、ヤバいなぁ・・・と思い始めたころ、
やっと仕事を探し始めました。
そしてまた面接で落とされまくるのです。
年齢的に子供の予定とかを聞かれることが増えて、
「子供ができたら辞めるんじゃないの?」
そんな空気感が漂う面接ばかりでうんざりした。
なんなんだろう???
働きたいと思っても未経験だからダメ。
子供ができて辞めるかもしれないからダメ。
そりゃ私の場合は自分で蒔いた種です。
もっと努力できることあったかもしれない。
でもこんなに生きていくのが大変なことなんだろうか。
世の中には、いろんな理由で
思い描いてた職歴にはならなかった人がいます。
自分とはまったく関係ない理由で
仕事がなくなってしまう人だっていますよね。
でも採用する側は、
そんなことはお構いなしです。
本当に日本という国は
一度レールから外れてしまうと、やり直せないんだ
というのをイヤというほど味わってきました。
そういう社会が、
すごくすごくイヤになりました。
自分を認めてくれる場所があるだけで人は変わる
働くことを放棄して、ダイエットのためにジョギングを始めました。
運動はキライではないけど、長距離は苦手。
学生のころのマラソン大会では
ビリから2番目だったこともありました。
それなのになぜ走ることにしたかというと、
単純に食事制限は無理だと思ったから。
とはいえ、正直、三日坊主になりそうな予感がしてました。
努力して何かを成し遂げた経験が
ほとんどないからです。
あまりに自分自身を信用できなかったので、
ジョギング始めて1ヶ月間、
ジョギングシューズが買えませんでした。
そんな自分をわかっていたので、
あらかじめ対策をとることにしたんですよね。
毎日、同じ行動パターンを繰り返す
これまでの経験から、気力で続かないことはわかってました。
なので努力しなくても習慣化する仕組みを考えました。
当時は無職だったので、
『朝起きたらまず走りにいく』
というルールを設定。
ジョギングウェアなどは前日の夜に準備して
(なんならジョギングウェアで寝たいくらいだった)、
朝起きたら、頭が働く前にジョギングウェアに着替えます。
頭が覚醒してくると、
『イヤだな〜』
『めんどくさいな〜』
という気持ちが出てきてしまうからです。
この作戦はうまくいきました。
その後、8年ほどジョギングを継続しましたが、
何年経っても夕方走ろうとするときは
いつも怠け心と葛藤しました。
(結局負けて走らないことも多々あった)
精神力で頑張ろうとすると、かなり疲れます。
努力を継続するための環境づくり
継続するために始めたのがブログです。
ブログを通して、ジョギング仲間がたくさんできました。
ダイエットのためではなく
純粋に走ることを楽しんでいる人たちもいました。
そういう人たちは、「速くなる」という目標のために、
- 自分なりに速くなるための方法を考え、
- その方法を元に練習計画を立てて、
- 一週間、一ヶ月、または数ヶ月単位で練習をして、
- マラソン大会に出たり
ということをしていました。
それを見ているうちに、
「私もその中に混ざりたい!」
と思うようになったんですよね。
しだいにダイエットのためではなく
速く走ることが目標になっていきました。
自分自身を洗脳する
「痩せるために走らなきゃ!」
と考えるとめちゃくちゃ気が重くなるので、
走ることに対して良いイメージを持つよう心がけました。
私が登録したブログカテゴリは、
ダイエットのために走る人たちではなく、
純粋に好きで走るガチランナーのカテゴリだったので、
その世界観に自ら飛び込んでいきました。
「走るのって楽しいもの!」
「毎朝の習慣として海辺を爽やかに走る健康的な女性になる!」
みたいな。
当時の私の理想のイメージ。
マラソン大会に出ると、タイムというわかりやすい結果が出ます。
(『完走証』という、自分のタイムが印字された紙がもらる)
前回より速くなったかどうかが、
数字になってはっきりわかるのです。
練習して、
ブログを書いて、
マラソンの結果が出て、
それがまたブログに反映される。
そういうサイクルができあがり、
気がつけばタイムはこのくらいの位置にいました。
女性市民ランナー人口の上位10%以内くらい。
この頃になると、
ブログを通してリアル企画を開催するようになり、
オンラインとオフラインが混ざった状態で活動するようになりました。
マラソン大会で初めて会った人に
「あなたのブログを読んで、私もブログを始めました!」
と言われることが何度かありました。
ただ単純にダイエットのために走り始めた自分が、
誰かに影響を与える存在になっている。
そしてマラソンが得意ではなかった自分でも
努力で上位10%くらいにはなれる。
自分が苦手なことだって、
正しい努力をすれば、
それなるのレベルに達することができる。
これが私の人生初めての成功体験になりました。
「苦手なことでも正しい努力をすれば結果が出せる」と証明したかった
マラソンをやめて、時間を持て余していたころ、
職場で資格取得を提案されました。
(仕事はたまたま運良く見つかった)
合格率10%台の国家資格です。
これまで本気で勉強に取り組んだことがない私には
ハードルが高い・・・
資格を取ったところで給料が上がるわけでもないし、
むしろ仕事が増えそうな気がする。
モチベーション上がる要素がゼロで
とてもやる気にはなれませんでした。
いやいや、ムリだし。
そんながんばれんし。
頑張ったところで何か変わるわけじゃないし。
そもそも別に、好きでこの仕事をしてるわけじゃないしさぁ。
資格の勉強なんて、自分とは別次元の
意識高い系の人たちがやることでしょ。
私が頑張ったところで、
そんな簡単にとれるわけない。
そう思っていたから、最初からほとんどやる気はなく、
もし誰かに進捗状況を聞かれても
「ちょっと勉強したけどムリでした」
っていう体でいいかな
そんなふうに考えていました。
ある日、資格取得を進めた上司と
2人で客先に外出することになり
雑談の延長で、勉強の進捗具合について聞かれました。
上司「どう?勉強してる?」
まなか「あー・・・えー・・・そうですねぇぇぇ・・・」
微妙な返答をする私に対して、上司は、
「まぁ、向き不向きがあるからね」
と、言いました。
・・・向き不向き
おそらく上司も、最初から本気で資格取得を
勧めたわけではなかったと思います。
ただ、資格というのが目標設定としてちょうど良かっただけで。
それは私も初めからわかってました。
ただ、
・・・向き不向き???
それは暗に
「君には無理そうだから、頑張らなくていいよ」
と言われた気がしました。
確かに私は、劣等感強いし、
自分が勉強できるなんて思ってない。
でも、
私のことを何にも知らない
あなたに言われる筋合いはない。
負けず嫌い精神に火がつきました。
私、頑張れないくせに
負けず嫌いだったんですよ笑
誰にも期待されてないなら、受かってやる。
それから職場の誰にも言わずに、
ひっそりと資格の勉強を始めました。
マラソンの経験から、
正しい方法で勉強すれば合格できる
という自信だけはあったからです。
まず、勉強の仕方がわからなかったので、
勉強方法の勉強から始めました。
資格に受かるために何をすればいいか?
記憶するとはどういうことか?
それから、現状の生活の中でどう時間を捻出していくかも課題でした。
残業が30時間くらいあったので、
スクールに通学するのは時間的にムリそう。
通信という案もあるけど、
自分の性格的に通信を受けたら、
それだけで安心して勉強しない気がする。
そう考えて独学にしました。
勉強に使う時間は、
通勤時間とお昼の休憩時間。
それから週末。
家に帰って勉強したのは、試験の直前だけでした。
9ヶ月間、励ましあうような仲間もいなく、
たった1人でコツコツ勉強を続けた1年目。
不合格でした。
本気で一発合格を狙っていただけに、心が折れました。
年に一回の試験だから、
もう一度受けるのは1年後。
どうする?
来年もう一回受ける?
・・・でもあんなに頑張ったのにダメだったんだよ?
もし来年落ちたら、またさらに一年頑張るの?
そこまで頑張る意味ある???
こんなことをグルグル考え続けて、
8ヶ月くらい経ちました。
試験受けるかどうか悩んでたくらいなので、
当然、テキストを読み返したりもしていません。
そんな状態で、気がつけば
受験申し込みの時期がやってきてしまいました。
どうする?
どうする?
どうする?
受けるか、やめるか。
さんざん悩んだ末、
もう一度だけ受けてみることにしました。
この時点で、受験までの期間は残り2ヶ月です。
完全に勉強から離れていたので
『無謀かもしれない』
とも思いました。
ただ勉強していなかった8ヶ月の間も、
内省だけはし続けていました。
何がダメだったのか?
どうすれば受ったのか?
それからの2ヶ月は、人生で一番、
真剣に勉強に取り組んだ気がします。
平日は家に帰ってから寝るまでの時間を
勉強にあてるようになりました。
休日はほぼ丸1日勉強するようになりました。
試験直前は新幹線の中で電卓叩いて
問題集に取り組むこともありました。
(さすがに膝の上で電卓を叩くのは効率が悪かったです)
家族旅行の予定が入ってしまっていたので、
(予定を決めた頃はまだ受けるか決めていなかった)
旅行先に勉強道具を持っていきました。
そして2年目、
合格しました。
この経験を通してわかったことは、
苦手でも、情熱を持てないことでも、
目的を達成する方法をたんたんとこなせば達成できる
ということ。
マラソンと試験合格の経験は、
私の劣等感をかなり弱くしてくれました。
「努力してもできる気がしない」
と思っていた私でさえ
変わることができたように、
どんな人でも、
正しい方法でやれば結果は出るし、
人生は自分の力で変えられる。
こういう信念を持つようになりました。
稼ぐために必要なのは資格じゃなくて稼げるスキルでは???
試験に合格したあと、「もっと勉強したい」と思うようになりました。
せっかく身につけた勉強の習慣をなくしてしまうのは
もったいないと思ったし、
知識が増えると世界が広がる
という感覚を身をもって実感したからです。
それまでぼんやりとしていた世界が
クリアになったような感覚になりました。
もっといろんな事が知れたら、
もっと世界のことがよく見えるかもしれない。
資格マニア、資格コレクターの人たちの気持ちがわかる気がしました。
次はどんな資格を受けようかな。
どうせなら実生活に役立ちそうなスキルがいいなぁ。
実生活に役立ちそうな資格?
ファイナンシャルプランナーとか?
仕事のスキルアップのために役立つ資格もありかも。
そんな風に迷っていたときに、
ふと気づきました。
・・・まてまて。
別に今の仕事好きなわけじゃないよね。
だったら仕事に役立つ資格を取っても意味がないよね?
資格とって転職?
これまでさんざん面接に落ちてきたんだから、
面接なんか二度と受けたくないよね?
つまり転職する気ないよね?
そもそも収入につながりそうな資格で探してるけど、
資格とって、転職活動して採用されて・・・って、
めちゃくちゃ遠回りじゃん。
本当に私がほしいのって、
資格じゃなくて
稼げるスキルだよね???
実はマラソンをやめたあと、
雑記ブログでアドセンス収入を得ていました。
ある程度は稼げるようになったものの
お小遣い程度の収入でしかなくて、
『もっとしっかり稼げるようになるには知識が足りてない』
と感じていました。
この頃って『ブログ飯』という言葉が広まった頃で、
ブログを書いて生計を立てる人が急激に増えた頃だったんですよね。
それで、
資格じゃなくて稼ぐためのスキルを学ぼう
と思ったんです。
やっぱり私は、会社員として働くの向いてないな、って。
社会に出たときからレールを外れていました。
そういう自分がキライじゃなかった。
さんざん遠回りして苦労して、
やっと得られた安定ではあったけど
今の生活が自分らしいとは思えませんでした。
以前、職場の同僚と就活の話をしたことがあります。
彼女は同世代だったので、
時代的な背景は私とほぼ同じです。
彼女は、周りが就活をしていたから、
そういうものだと思って就活して、
就職したのだそうです。
一方、私はというと、
自分が就職して働くなんて想像できなかったし、
そんな生き方つまらない、って思ってました。
だから就活はしなかったし、
それを後悔はしていません。
そしてその頃が一番自由でした。
何も持っていなかったけど、
何も持っていない、
何者でもない自分が好きでした。
客観的に見たら、
『ただの甘え、考えが幼い』
そう言われるのかもしれない。
でもあれから何十年経った今でも、
根本的には変わっていないのです。
生きていくために
なんとか社会の一員として振る舞おうと必死にやってきたけど、
やっぱりこのまま定年まで会社にいる自分が想像ができなかった。
そういうふうに
『人生ってこんなもんだよね』
って諦めたくなかった。
就活せずにフラフラしていたあの頃は、
就職して働く以外に生きていく方法を知りませんでした。
だけど、今はそれ以外の方法を知っています。
そして、
自分が得意じゃないと思ったことでも
正しい努力をすれば結果は出せる、
ということも知りました。
だから、昔の自分のように
自分には能力がないんだ、と劣等感を抱えながら
できる努力をいっさいしないで
誰かになんとかしてもらうのを期待するだけ
そんな生き方をしたくない。
自分が死ぬときに、
私は私ができる努力をすべてした。
だから後悔はない。
そう自分の人生に納得したいんです。
オンライン起業スクールに入るも結果出せず挫折
『ブログで稼ぐには何を学べばいいだろう?』
ネットでいろいろ調べていくうちに、
マーケティングとライティングが必要なのではないか、
と思うようになりました。
ちなみにこの頃、マーケティングが何なのかはわかっていません。
漠然と
「たぶん・・・稼ぐための仕組みみたいな?」
くらいのざっくりしたイメージです笑
とりあえず学べばわかるだろうと、
オンライン起業スクールに入りました。
一年ほど動画講義を受けて、
ビジネスの基本的な考え方を
ここで知ることができました。
情報発信ビジネスというものの存在も
DRMというマーケティングの仕組みも理解し、
「情報発信ビジネスをやっていきたい」
そう思うようになりました。
・・・でも、できませんでした。
正確には、行動をする準備段階でつまずいたんですよね。
ビジネスについて何にも知らなかった人間だから、
学んだつもりでも学びが浅かったのかもしれないし、
今思えば、講義の内容だけでは足りないものがあった気もします。
(私の場合は)
でもその時は、何が問題なのかわからず、どうしたらいいのかわからず、途方に暮れました。
スクールで提示している解決方法もあったけど、
それは私にはできなかったし、やりたくなかった。
行き詰まったけど、解決方法がわからない。
だけど、どこにも、誰にも相談することができない。
(スクールの解決方法を拒否してるから、
スクールの人に相談することもできない)
・・・やっぱり、私にはムリなのかな。
ここまで一生懸命学んできた(つもり)だけど、
やっぱりダメなのかな。
スクールで学べばすべてうまくいくはず
そう思っていただけに、うまくいかない原因は
自分の能力が足りないから
だと思いました。
ここからどうしたらいいのか。
毎日毎日、会社に向かう通勤電車の中で
グルグル考えを巡らせたけど、
やっぱり答えは出なくて。
結局、スクールに入る前と同じように
細々とブログを続けることにしました。
マーケティングの知識を手に入れたので、
以前よりは何をどうすればいいのかというのは
理解できるようになっていました。
外注さんにブログ記事の執筆を依頼して、
特化サイトを作るようになりました。
サイトは順調に育っていきました。
・・・でも、なんか違う。
私がやりたいのってこういうことだっけ?
誰が書いても同じような内容の記事をアップして、
ただ情報をまとめて、
これって私がやる意味あるのかな???
収益化のためだけブログを書くけど、
楽しいわけではないから
活動自体がとても中途半端になっていったし、
全力投球するほどの情熱がなかったから、
ビジネス以外の時間を優先させることが多くなりました。
このままじゃダメだ。
やっぱり情報発信ビジネスをしていけるようになりたい。
そう思い、再びネットで調べ始めました。
もう一度、情報発信ビジネスの世界へ
この頃、メルマガアフィリに興味を持つようになっていたので
いろんな方のメルマガに登録し、
たくさんの発信者さんの言葉を目にしてきました。
なるほど・・・こういうふうに動けばいいのか。
複数の発信者さんのパターンを見て
動き方はなんとなくわかったけど、
それでもイマイチ踏み出すことができませんでした。
そんなとき、あるメルマガ発信者さんが
企画の無料モニターを募集されていたんですよね。
「無料なら参加してみよっかな」
そんな軽い気持ちで応募してみました。
実際に情報発信されている方と
直接やり取りをさせていただいたのはこれが初めてで、
アドバイスをいただいたことで
やってみようかなと思えるようになり、
Twitterでの情報発信を始めることにしました。
2021年6月頃の話です。
その方に有料でサポートしていただき、
人生初のコンテンツを作りました。
無料企画でさえ、
誰からも反応がなかったらどうしよう
内容読んだ人からクレーム来たらどうしよう
と、めちゃくちゃビビってましたね。
だから、もしあのとき、
企画に参加せず
ただそっと誰かの情報を追いつづけてるだけだったら、
無料企画すらできなかったと思うし
今こうして自己紹介記事を書いていないと思うし、
そもそもTwitterすらやっていなかったと思います。
Twitterのリアルタイムなスピード感と、
個別にサポートしていただいたおかげで、
行動のスピードが加速されていきました。
その中で、自分が目指したいと思えるメンターと出会いました。
ノウハウコレクターだったので
かなりの発信者さんの発信を見ていましたが
他の発信者さんとは違う、と感じました。
稼ぐこと至上主義、とは違うその人の信念に触れて
「この人みたいになりたい!」
と思いました。
その人の教材を購入し、
個別のやりとりを通して
私からコンサルの逆オファーをしました。
そこからはすべてが人生初の体験で、
実際に動くようになって
教材で学んだだけではわからなかったことも
実践して理解できることがたくさんありました。
逆に、わかっていたつもりでも
使いこなせていない知識がたくさんあることにも気づきました。
必死だったし、
怖かったし、
落ち込んだことも凹んだことも何度もありました。
でも
悩んだときに相談できる相手がいる
これはものすごく私の支えになりました。
戦略について一緒に考えていただいたり、
自分の弱い部分を指摘されて
「うぐぐ・・・」
と言葉に詰まることもありました。
そんな私でも、今は、
自分の商品を作って販売し、
人に情報発信/コンテンビジネスを教えたりしています。
先日はコンサル生さんから
「単月で売上50万達成した」
とご報告をいただきました。
参考:【コンサル生さんが単月売上50万達成】私がコンサルで心がけていること
また、動けずに悩んでいらっしゃった別の方は、
無料相談しただけで、ご自分の商品つくられて
あっという間にコンテンツ販売で0→1達成されました。
私が教えたからか、というと『そうではない』と思っています。
過去の私がそうだったように、
一人で悩んでいるだけでは前に進めない時もある。
そんなときに、
ホンの小さなきっかけで
自分で行動して動けるようになるんです。
イメージとしては三面鏡。
正面から見つめるだけでは見えてこない、その人自身を
違う角度から見えるようにする、みたな。
これってビジネスに限ったことではなくて、
人生のすべてにおいてそうだと思っています。
もし、私が子供の頃に
勉強の楽しさを教えてくれるような人と出会えていたら
私の生き方は違っていたかもしれない、と思うように。
出会いは偶然にしかすぎないけども、
その偶然をきっかけにするかどうかは
自分次第ですよね。
私が自分の力で人生を変えよう、と決意したのは
きっと他の人より遅かったと思います。
もっと早く勇気を出していたら。
もっと早くきっかけに出会えていたら。
そんなふうにも思います。
だから私は、昔の私と同じように
劣等感を抱えたまま一人で悩んで動けずにいる人や、
今の状況を変えたいけど
どうしたらいいのかわからなくて迷っている人が、
小さな一歩を踏み出すきっかけになれたら。
そう思って活動しています。
私がとある発信者さんの企画で変われたように、
誰かが変わるきっかけになれたら本当にうれしいです。
私はまだ、自分の人生を変化させている途中です。
あなたもきっと
人生を動かそうとしている真っ最中だと思います。
どんな選択を選んでも間違いじゃない。
ただ、
自分の人生が終わる瞬間に
後悔のない人生をおくること。
これだけは達成したいんですよね。
あなたも、私も、
お互い後悔のない人生が送れるよう
自分の人生を全力で生きていきましょう。
できることなら、その目標に一緒に向かっていけたら嬉しいです。
さいごに
ここまで長い長いプロフィールを読んでいただき、
本当にありがとうございます!
感想やメッセージをいただけると更新の励みになりますので
TwitterDMや、わたしからお送りする公式LINEへの返信などで
何か一言でも送っていただけたら嬉しいです。
私も、これを読んでくださってるあなたがどんな方なのか
知りたいなぁ、と思っています。
いただいたメッセージには必ず
すべて返信させていただきます!
また、プロフィール本文でも書いたとおり
無料相談も行っています。
もしあなたが現状に不安を抱えているなら、お気軽にご連絡いただければと思います。
それでは!!!